バイリンガル教育のリスク

宗教・哲学

私の息子は、もうすぐ3歳になる。

まだ拙いが、だいたいの意思疎通はできる程度まで日本語力も発達している。

言語習得の観点で、人間の舌は3歳頃に固まる。

そこでこの1ヶ月、私は「息子に本格的に英語を教えるべきか」を検討していた。

私自身、生まれた時からゆる〜い英語教育を受け、そこそこの英語力を身につけるに至ったからだ。

一方で、自分の英語力が職場で通用するレベルにまで至っていないこともコンプレックスに感じている。

だからこそ「自分の子どもには、より高い英語力を身につけられるようサポートしたい」という思いがあったのだ。

しかし、第二言語(英語)の学習を、あらゆる環境下で、様々な時期に開始した人々のエピソードを収集するうちに「早期バイリンガル教育よりも、母国語の習得を最優先するべきだ」という結論に至った。

早期バイリンガル教育には、実は発達上のリスクを伴うことをご存知だろうか?

初めに言っておくが、「早期バイリンガル教育」に正解はない。

しかし、こどもの一生を左右しかねないことなので慎重に検討する必要があると思い、ブログに書くことにした。

バイリンガル教育に興味がある方は、ぜひ一緒に考えていただければと思う。

言語力は追いついても、学習能力が成長しないリスク

多くのバイリンガル教育の本には、早期バイリンガル教育のメリットしか語られていないのが実情だ。

過去の実験データによると、発語前にバイリンガル教育を受けた子どもは、モノリンガルの子どもより発語が遅くなるものの、少しずつモノリンガルの子どもに追いつくと言われている。

私は大学でその論文を読んだので、これまでずっと、それを疑わずに生きてきた。

だが実際は、2カ国語をネイティブレベルで習得するには、かなり両言語の環境が整っていないと困難のようだ。

それを知ったきっかけは、アメリカの機関で勤めている友人の話だった。

「私の同僚に、親がアメリカ人と日本人の方がいるのだけど、その人は英語と日本語、両方とも不自由なのよ。」

私は耳を疑った。

家庭で使う言語は、子どもにとって最も身近で、最も習得可能な言語ではないのか?

調べてみると、そのような状態に陥るケースは決してレアケースではないことが分かった。

バイリンガルの子どもの言語力が、モノリンガルの子どもに比べて著しく低い状態に陥ってしまうことを「ダブルリミテッド」という。

近年急速に研究が進んでいる分野で、2000年以降は500件ほどの海外論文が発表されている(ダブルリミテッドは和製英語で、学術上は「limited bilingualism」という表現)。

ダブルリミテッドの子どもたちは国内の教育現場でも要サポート対象となっていて、在日外国人の子どもの中には、生活する上では不自由なく2ヶ国語を操っていても、成績不振に悩む子どもが少なくないのだという。

「言語力は追いついていても、思考力が学習可能レベルに到達していない」という現象が見受けられるのだ。

人の母語は2〜5歳の間に完成するといわれている。

この間に母語が発達しないと、学齢期に到達した時点で学習全体の遅れにつながるリスクがある。

人が読み書きを習得するのは4歳〜9歳の間と言われている。

このタイミングで海外へ転勤したり、学習環境における言語が急に変わると、最初に習得した言語の発達が停滞し、将来的に読み書き困難になる可能性がある。

人は小学校高学年〜高校あたりで、高度な読み書きを習得し、抽象的な概念を理解できるようになる。

このタイミングで言語環境が急激に変化すると、その後成長しても抽象的な語彙の習得度が極端に低かったり、理解ができなくなるリスクがある。

このダブルリミテッドのことを知った時、私は3つのエピソードが頭に浮かんだ。

ひとつは、私が大学で通訳コースを修了した際に現役の通訳家から聞いた話。

ニュースの同時通訳者は、普通は2人以上スタンバイしていて、10分〜15分という短時間で交代する。

2ヶ国語を同時処理することは、人間の脳にとって、それだけ非常に負荷が高い処理なのだ。

通訳は脳を酷使するゆえに、仕事柄、精神的な病気を発症する人も少なくないのだと言っていた。

二つ目は、お笑い芸人の渡辺なおみさんが以前テレビで話していたエピソードだ。

彼女は日本人と台湾人のハーフで、両親の離婚後、日本に移住した台湾人の母親に女手ひとつで育てられた。

18歳頃までは日本語を片言でしか話せなかったという。

母親の母語である中国語をリスニングすることは可能だが、話すことはできない。

大人になってから日本語能力を測定したところ、小学生レベルの日本語力しかなかったという。

彼女は典型的な「ダブルリミテッド」だ。

今の彼女の面白さの裏には、どれだけの苦労があったことだろうか…。

三つ目は、私の友人の話だ。

彼女は夫婦ともに日本人だが、自分の子どもを0歳からオールイングリッシュの保育園に入園させた。

もう3歳になるが、子どもは英語が堪能で、日本語はほとんど話すことができない。

英語と日本語は、文化的にも文法的にも遠い言語だ。この2つをネイティブレベルで習得するのは、早期バイリンガル教育を施したとしても成功するとは限らない。

言語とアイデンティティの相関性

アメリカは多国籍国家なので、メキシコや中国、日本など、ありとあらゆるルーツを持つアメリカ人がいる。

私は昔から、彼らがアイデンティティの探求に熱心なことをとても不思議に感じていた。

「自分は何者なのか?」という疑問は、家族も友人も同僚もほぼ100%日本人という環境下では芽生えにくい問題なのかもしれない。

先日、NHKでこんなニュースがあった。

ロシアとウクライナが戦争状態にある中で、ウクライナ国民がどんどん日常言語をロシア語からウクライナ語へ切り替えているのだという。

ウクライナは、ソ連統治下ではロシア語を母国とし、教育現場でもロシア語が使われていた。ゆえに今の40代〜はロシア語を日常的に使用している。

ソ連からの独立を果たした1991年以降、国は母国語をウクライナ語に改め、教育現場でもウクライナ語を使うようになった。

しかし、子どもたちの両親はロシア語しか話せず、街にもロシア語が溢れているため、だいたい35歳以下の若い世代も第一言語はロシア語で、ウクライナ語もまあ不自由なく話せるレベルである(学校でも感情的になるとロシア語が飛び出す、といった具合だ)。

ロシア語とウクライナ語は、共にキリル文字を使っており、スラブ系の民族なので言語としては近い。

それでもロシア語とウクライナ語、両方の同時習得はなかなか難しいらしい。

そんなウクライナの人々が、ロシアに攻め込まれたことで「自分たちを蹂躙する国の言葉を話したくない」「ロシア語ではなく、自分の国の言葉・ウクライナ語を話したい」という思いが高まり、これまでロシア語で発信していたSNSを「ウクライナ語へ切り替えます」と意思表明する人が続出している。

ロシア語しか話せない40代以上の人々も、意欲的にウクライナ語を学習しながら家庭内で話しているそうだ。

このニュースを見て、私は「言語は人間のアイデンティティと、なんと強く結びついていることか」と驚いた。

バイリンガル教育においては、表面的な「言語力」だけでなく、彼らの「アイデンティティ」や「思考能力」にも、どれだけ影響を及ぼしているかを考慮する必要があるのではないだろうか?

バイリンガルの人間は、少なからず「自分は多重人格なのではないか」「本当の自分はどれなのか?」という疑問に頭を悩ませるという。

母国語の土台があれば、第二言語の習得も可能?

そもそも私が早期バイリンガル教育に関心を持ったのは、私自身の英語力にコンプレックスを抱いていたからだ。

私自身、ゆるい早期英語教育を受けて育った。

物心ついた時から、寝室の天井にABCが貼られていたし、ディズニーのビデオも英語で観ていた(当時はさっぱり意味が分からなかったが)。

中学に入り、いざ義務教育過程で英語学習を始めると、周りからびっくりされる程度には発音が良く、リスニングも得意だった。

恐らく、耳だけは出来上がっていたのだろう。

人間、多少得意なことを好きになるものである。その後、熱心に英語だけは勉強したので、中高通じて英語と国語だけは成績が良かった(読書の習慣があったので国語もできた)。

しかし、理数系は本当にさっぱりだった。今でも論理的思考力には自信がない。

(これがゆるいバイリンガル教育の弊害だと言い切るには根拠が乏しすぎるが)

私の英語力は大学在学中にTOEIC870点程度まで到達し、日常会話レベルはそこそこ問題ないものの、仕事で日常的に英語を使うほどまでには到達しなかった。

就職活動では、第一志望だった商社の総合職はことごとく落ちた。

このご時世、英語がちょっとできるくらいでは通用しないことを痛感した私は、得意分野を増やすべくエンジニアへの道を選んだ。

もう1人の事例を紹介したい。

生まれた時から知っている私の親友は、高校生の時に親の転勤で渡米した。

2年間の高校時代をアメリカで過ごし、卒業後は日本に帰国して日本の大学に入った。

彼女は今、貿易関係の仕事に就き、英語を日常的に使って仕事をしている。

元々、頭が良い子だったが、彼女いわく「中学生の妹の方が、英語を習得するのが早かった」という。

話がずいぶん長くなったが、私が言いたいのは「母国語としての日本語がベースとしてしっかりできていれば、第二言語の習得も可能なのではないか?」

「むしろ、早期バイリンガル教育はダブルリミテッドというリスクをはらむ以上、『必ず海外生活をさせる』という方針がない限り、危険なのではないか?」ということだ。

言語は「生もの」である/英語より大切なもの

早期バイリンガル教育を施したとしても、言語は「使わないと忘れてしまう」ものなので、継続しなければ意味がない。

現に、私の母親はアメリカで幼少期を過ごしたが、帰国後さっぱり英語を忘れている。

学校の同級生も、幼少期をアメリカで過ごし、3歳の頃は英語でジョークを飛ばすほどだったが、帰国後すっかり忘れてしまったという。

言語は「生もの」なのだ。

先日、インターナショナルスクールを見学した時、私はある子どもの状態が気になった。

まだ入ったばかりの子どもなのだろうか。親指を加え、肩をぎゅっと縮こませて、じっと押し黙っている。

完全に自閉モードになってしまっているのだ。

当時、すっかり子どもをインターナショナルスクールへ入れる気でいた私は、この時初めて「本当にこれで良いのだろうか?」という迷いが生じた。

この後、その子どもは少しずつ、時間をかけて英語に馴染んでいくのかもしれない。

しかし、3歳という日本語もおぼつかない子どもに、1日5時間この過酷な状況を経験させるのは、本当に正しい選択なのだろうか?

帰宅後、私は夫に自分の迷いを正直に伝えた。すると、夫はこう言った。

「まだ日本語もおぼつかない時から、知り合いもおらず言葉も理解できない環境下に置くよりも、自己肯定感を高める活動を優先した方が良いのでは?」

結局、我が家では早期バイリンガル教育を見送ることにした。

適度なストレスは、人間を成長させる。

「かわいい子には旅をさせよ」ということわざもある。

早期バイリンガル教育で成功する子どもも、いるだろう。

しかし、早期バイリンガル教育に致命的なリスクがある以上、その原因と対処方法が明らかでない限り、私はその選択肢を取ることができないと判断した。

しかし、まだ諦めてはいない。

英語ができれば、世界はぐっと狭くなる。

世界中どこにでも難なく行けるし、美しいものをたくさん見ることができる。

私がそうであったように、我が子にもその喜びを味合わせてあげたいと思う。

今度は、子ども自身が「英語って面白い」「もっと英語を勉強したい」と気づき、意欲を持って学習できるようサポートして行きたい。

まずは親子でサマーキャンプやハロウィンイベントに参加するくらいで、十分なのではないだろうか?

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