「お受験本」は最高の育児書?

宗教・哲学

こどもを授かった当初、親というものは、とにかく「子どもの健やかな成長」を願ってやまない。

しかし、こどもが誕生してしばらく経つと、やれ「運動神経の良い子どもにしたい」とか「頭の良い子に育てたい」とか、様々な欲が出てくるものだ。

すべては、子どもに幸せになってほしいと願うがゆえの親心。私も、そんな母親のひとりである。

私が初めてこどもを授かった時、いわゆる「育児書」カテゴリの書籍を図書館で借りて20冊ほど読み漁った後に抱いたのは「案外、育児書って最低限のことしか書いていないんだな」という印象だった。

赤ちゃんが泣いたらどう対処するかとか、離乳食の進め方とか、もちろんそれらは育児の基本で大切な知識なのは確かなのだが、私の関心は、もっと精神的な部分に向いていた。

世の中には、どんなに学力が高くても、どんなに仕事ができても、倫理観が低い人がいる。

そういう人は、法律に触れることはしなかったとしても、酒や賭け事や浮気といったリスキーなグレーゾーンに平気で踏み込み、他人を不幸にするのだ。

私は、自分のこどもに「正しい人間」であってほしい。

しかし、宗教の存在が薄い現代において高潔な精神を養うのは、とても難しいのではないか?少なくとも、私はそう感じていた。

私は、日本では珍しい3代クリスチャンの家庭に生まれ育った。

毎日、家族そろって食前に祈りを捧げ、日々の出来事を感謝し、誰かを想う機会があった。礼拝に行けば様々な年代の人と交流することができ、生のピアノの演奏にあわせて教えを歌い、人類の叡智が詰め込まれた聖書に学ぶことができた。

それを「洗脳」という言葉で片付けるのは簡単だが、私個人としては高いモラル観を養えたと感じている。

しかし、私の夫は多くの日本人と同様、無宗教である。宗教の他に、なにか良いメソッドはないものか…。ぼんやりすること2年、偶然にも「お受験本」に出会い「これぞ最高の育児書と言えるのではないか?」と感銘を受けたので、今回ご紹介したい。

「お受験本」に垣間見た、理想的な家族像

小学校受験の本を読んだきっかけは、大学時代からの友人だった。

友人が「子どもたちに小学校受験をさせようと思って」と言い出したのだ。正直、私の中では「小学校受験は金持ちがするもの」というイメージがあったので、とても驚いた。

友人は共働きのサラリーマン家庭である。世帯年収1000万を優に超えていることは生活ぶりからも伺い知れたが、私が思う「金持ち」とは医者や実業家のことであり、決してサラリーマン家庭のことではなかった。

私の親戚にも、小学校受験をして進学した子がいる。親戚は自営業をやっているが、聞く限り同級生は「○○流の家元の子ども」とか「芸能人の○○の子ども」とか、とにかく我が家とは縁遠い話ばかりで、親同士の価値観のズレで気苦労をしている様子も伺い知れた。

「一体、小学校受験とはどんな世界かしら。」

にわかに興味が湧いたので、6冊ほど小学校受験の本を読んでみた。

小学校受験は、入学前年の11月に始まり、その試験に向けて2年程度の準備期間を必要とする。

つまり、早い子だと3歳からお受験塾に通い始めるのだ。

3歳にもなれば、こどもはよく喋り、大人の話もひととおり理解できるが、食事のマナーだとか、大人が言った指示を守れるかどうかといった自己抑制能力は未熟である。

そんな子どもを、お受験までに大人の指示を聞き、自分の考えを話せるレベルまで毎日指導して行く。お受験では、両親の言葉遣いや振る舞い、週末の過ごし方、日々の習慣が全てさらけ出されるのだ。

受験科目は学校によって異なるがペーパーテスト、知能テスト、口頭質問、運動能力テスト、お絵描き、集団での行動観察など、多岐に渡るあらゆる試験が課される。未就学児を評価しなくてはならない難しさゆえであろう。

両親と子ども揃っての面接もある。大前提、学校の教育方針を理解し、入学後も協力できる家庭でなければ入学できない。

「どんな子どもが合格するのか」は、学校によって微妙にカラーが違うらしい。「粘り強さ」を評価する学校もあれば、「積極的でチャレンジ精神がある子」を評価するところもある。

しかし、そこは子どもの個性次第であり、どうにもならない(というか大人がコントロールするべきではない)範疇もあるので、考え方としては「我が子の魅力」を親が理解した上で、子どもに合う校風を選んでやるのがあるべき選択のようだ。

大人の指示を守れるか?

お受験本を読んで、個人的に「勉強になったな〜」と思うことをピックアップして紹介しようと思う。

まず、小学校受験では私立でも国立でも「大人の指示を守れるか」が選考基準の一つになっている。

例えば「椅子に座って静かに待っていてください」という指示があり、10分ほど待たされている。

その間、落ち着きなく周りをキョロキョロ見回したり、足をぶらぶらさせたりすると減点対象になるらしい。厳しすぎんか。まあ、お受験の世界にはガセネタや噂話も溢れているそうなので話半分にしておこう。

5歳頃までに大人の指示をきちんと聞ける子どもに育てるためには、日々の生活の中で「美しい姿勢で、食器を正しく持って食事を食べさせる」とか、「電車などの公共の場では静かに過ごす」といった指導が欠かせない。

普段、食卓でテレビを流しっぱなしだったり、電車内で騒がないようお菓子を与えてしまう私は、反省の至りであった。

自分でマナーを守れるか?

ある小学校受験では、子どもたちを集めて一緒にお弁当を食べさせ、その様子を審査員が観察して評価をつけたことがあるそうだ。

食器を正しく持って食べているか、口に食べ物を入れたまま話していないか、といったマナーが評価対象になっていたと考えられる。

小学校は集団生活なので、決められた時間内で、友だちと会話を楽しみながらも、しっかり弁当を食べ切ることも大切だろう。

こうした「自分でマナーを守れるかどうか」は、小学校受験においては「当たり前のこと」として、最低限できていなければならない審査基準になっている。

試験のひとつに、年齢相応の身体能力があるかどうかをチェックする運動能力テストもあるが、必ずしも運動能力だけを審査しているとは限らない。

もし子どもが列にきちんと並ばず、誰かを抜かしてしまうことがあれば、減点対象になってしまうだろう。

美しい言葉で、自分の考えを伝えられるか?

小学校受験の場では、両親のことを「お父様」「お母様」と呼ぶのがセオリーらしい。

これに関しては、私は正直「100歩譲っても父(ちち)と母(はは)で良いじゃないか」と思うのだが、要は「正しく美しい日本語で話せるかどうか」も、小学校受験においては審査対象になる。

言葉は、日常のインプットから自然に溢れるものだ。特に「自分の考えを伝えられるか」は、絵本の読み聞かせだけでは済まされず、意識的なトレーニングが必要だろう。

「なぜそう思ったのか」を聞かれて、答えられる年齢は発達段階的に4歳頃とされている。

うちの3歳になる長男は、まだ時々ゴニョゴニョした赤ちゃん言葉になる段階なので、意識的に問いかけを取り入れて行こうと思って色々試している。

中でも長男にハマったのは、この方法だった:長男はこだわりがやや強いので、好きな絵本も繰り返し読む傾向があるのだが「ママが読んだから、次はあなたがママに読んで〜」というと、長男なりの言葉で絵本を読み聞かせてくれるようになった。

ちょっと長男なりの創作も入っているし、脳みそをフル回転させて物語を紡いでくれるので、なかなか良いトレーニングになっているのではないかと思う。

身の回りのことを自分で出来るか?

これも反省の至りだった。共働きだと、ついお風呂に入れる時も、時間が惜しくて服を脱がせてしまい、洋服を洗濯機に入れ、着替えを選んで着せてしまう。

しかし、後片付けや、自分の身支度をすることも、日々の積み重ねからできるようになるのだ。

食べたら食器を片付けたり、お手伝いをしたりする習慣は、副次的に人を思いやったり、手先を器用にする効果もある。

そこで、我が家では子どもに毎日料理も手伝ってもらうことにした。サラダなんかは、ボウルに野菜をちぎって、にんじんをピーラーで剥いてまぜるだけだが、長男は喜んで毎日やってくれる。

そもそも2〜3歳児というのは、何でも自分でやってみたい年頃なので、無理強いしなければお手伝いを喜んでやってくれる年頃なのだ。

もちろん、大人が自分でやってしまった方が早いのだが、それでは子どもの成長機会を奪ってしまい、もったいないので、共働きで時間が惜しい中でも少し心に余裕を持って、子どもに挑戦してもらう機会を探している。

日本の行事を大切にするべき理由

日本には、ひな祭り、こどもの日、父の日、母の日、敬老の日、憲法記念日といった祝日がたくさんある。

冠婚葬祭や、お宮参りなどのライフイベントに沿った行事もたくさんある。

我が家はキリスト教だったので、実はこうした行事とは縁が薄かった。修学旅行で神社やお寺に行っても、自分は手を合わせてはいけないと思っていたし、家族で初詣に行くことも無かった。

キリスト教のイベント以外の祝日は、ただの「お休みデー」でしかなかった。

しかし、お受験本を読んで、私は初めて理解した。

現代でも人が日本の祝日を理解し、様々な行事を大切にするべき理由は、それらを通じて「日本人らしい考え方」「日本人としての精神」を養うためなのだ。

宗教の代替案を、私はようやく見つけることができた気がする。

笑われるかもしれないが、それはきっと多くの日本の家庭が当たり前のようにやっていて、我が家ではやってこなかった習慣だった。

お受験本は、最良の「育児の教科書」かもしれない

ここまで読んで「どれも当たり前のことじゃないか」「我が家では全部できている」と思った方は、お受験本を読む必要も無いだろう。

しかし、私と同じように、育児にビジョンが無かったり、育児に自信が無いと感じている人は、ぜひ一度、図書館で「お受験本」を借りて読んでみてほしい。

お受験本は、自分の子育てを見直し、多くの具体的なヒントを与えてくれる。

良質な「育児の教科書」として、お受験本を皆さんにお勧めしたい。

そして、できれば最低3冊ほど読んでみていただきたい。なぜかというと、お受験本は書き手によって内容にかなり違いがあって、しかも「どれが正解」と言える分野でもないからだ。とにかく数冊読んだ上で、自分なりの答えを見つけていただくイメージだ。(ちなみに私がいちばん良かったと感じたのは山岸 顕司さんの著書)。

で、結局我が家はお受験をするかどうかって?

シミュレーションの結果、夫婦の世帯年収的に、子ども2人を私立小学校に通わせるのは無理だったので(大学あたりで貯金が尽きる)、しません。

でも、「お受験するつもり」の気持ちで、お受験本に学びながら育児して行こうと思っている。良いとこ取り作戦、とでも名付けようか。

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