ゲーム廃人になって分かったこと

雑談

恥ずかしながら、私は2歳と生後6ヶ月の子どもがいる母なのに「ゲーム廃人」になってしまいました。

きっかけは、ゲーム好きな夫から「面白いソーシャルゲームがあるから、やってみない?」と誘われたことからでした。

私は普段、ほとんどゲームをしません。

何なら「ゲームをする時間は何よりもムダだ」と思っているタイプです。

しかし、こども2人の育児に追われるなかで「夫婦の会話の、ネタの一つにもなれば」と思って始めてみることにしました。

この時は、まさかゲーム廃人になってしまうとは思ってもみませんでした…。

過集中が発動し、リアルが後回しに

始めたゲームは「三国志○○」という、土地とり合戦ゲームです。(三国志はゲーム界でも人気のテーマなので、類似ゲームが沢山あります)

最近のソーシャルゲームは、本当によく出来ているんです!

序盤はチュートリアルに従ってサクサク進むので快感。

しかし、キャラクターのレベルを上げて、早く土地を取らないと他のプレーヤーに取られてしまうので、四六時中ゲームが気になって仕方ありません。

元々、のめり込むと周りが見えなくなってしまうダメ人間な私。

四六時中、ゲーム画面を見ているせいで、育児はまだしも、掃除・洗濯などの家事が完全に後手になってしまいました。

夫は違うサーバーでプレイしており、どうもハマらなかったようで私よりも先に辞めてしまいました。

夫婦の会話は、逆にめっきり減りました(笑)。

人間関係から逃れられなくなる

ゲームには、コミュニティ機能というものがあります。

ゲームを有利に進めるためには、コミュニティに入る必要性があるのです。

最初はよく分からないまま、チュートリアルに従ってコミュニティへ入りました。

そこには、優しくて楽しいプレーヤーたちが待っていました。

育休中で普段、まともに誰とも喋らない私。

優しくて楽しいコミュニティの人間関係に、すっかり虜になってしまいました。

また、ゲームを攻略するためには、コミュニティの仲間たちと協力しあう必要があります。

自然と、プレーヤー同士の絆も深まって行きます。

社会にうまく適応できず悩む人の中には、ゲームにのめり込む人がいますが、その理由はゲームの世界が心のシェルターになっているからなんだろうな、と感じました。

基本的には、ゲームの世界ではお互いの個人情報を公表しないのが暗黙のマナーです。

だからこそ、リアルよりも、ゲームの人間関係のほうが、ほどよい距離感もあって心地よく感じてしまうのです。

それでも、会話の中で、だんだん何となく相手の性別や年代、境遇が分かってきます。

意外だったのは、子育て中の主婦や、子育てが終わったパパ世代がプレーヤーとして非常に多いということです。

まあ、それは三国志というテーマに依るところが大きいのかもしれませんが。

きっと私と同じように、会話や交流に飢えているけど拘束がある人たちなのかもしれません。

課金という闇

私は今まで、「ソーシャルゲームに大金を課金するのは、人として終わってる」と思っていました。

基本的に、お金は人に使ってナンボだと思っているからです。

ソーシャルゲームに課金することは、汗水垂らして稼いだお金をドブに捨てるようなものだと思っていました。

しかし、最近のソーシャルゲームは本当に、よく出来ているんです(2回目)…。

まず、無課金の状態でも1〜2ヶ月くらいは問題なくプレーできます。

しかし、次第にコミュニティで人間関係ができ上がり、仲間に守ってもらう場面も増えると「もっと同盟の役に立ちたい!」「もっと強くならないと、申し訳ない!」という気持ちが芽生え始めるのです。

「仲間のためにも、課金しなければ。」

結果、ついに課金に手を出してしまいました。

最近は、我に返って、ほどほどのところで課金を我慢しています。

ですが、上には上がいて、イベントやボーナスのたびに、10万円単位でガチャに突っ込む仲間がいます。

10年ほど前にソーシャルゲームの、ガチャの射幸性が社会問題になりましたが、今ではすっかり下火になりましたね…。

2022年4月から、日本の成人年齢は20歳から18歳へ引き下げられます。

クレジットカードや携帯電話を自分名義で契約できる年齢も18歳〜になります。

これだけ強い魔力を持ったソーシャルゲームなので、ソシャゲ業界には明るい未来が待ってるわ〜!と思ったのでした。

(もはやゲームにハマるのに、年齢は関係ないじゃんって話なのですが…。)

ゲームと上手に距離感を保って生きる人たち

ここ数ヶ月、ゲームをプレーしていて気づいたことがあります。

それは、いわゆる古参(以前からゲームをプレーしているベテラン)の人たちは「細く長く、ほどほどに」ゲームを楽しんでいるということです。

彼らはイン時間(ゲームをプレーしている時間)も、さほど長くありません。

せいぜい1日に1〜2時間くらい。時にはインしない日もあります。

実生活と、ゲームをプレーする時間のバランスが取れているんですね。

ゲームが趣味の夫も、そのタイプです。

夫は物心ついた時から、ゲーム三昧だったらしい。ゲームのお陰で要領が良くなったのか、あるいは逆(要領が良いからゲームを趣味にして来れた)か…。

逆に、ゲームにのめり込みすぎて時間の大半を費やすようなやり方だと、実生活に影響が生じたり、逆にストレスを感じる場面が増えるため、かえってゲームからドロップアウトしてしまう人が多いようです。

ゲームは、一種の社会の縮図なのかもしれない

大前提、実社会とゲームプレーヤー層を同一視するのはナンセンスなのですが、私はゲームに、一種の「社会の縮図」のようなものを見出しました。

突然ですが私は普段、サラリーマンとして会社に属して仕事をしています。

自分で言うのも何ですが、生真面目な性格なので、何でも一生懸命やりますし、困っている同僚のサポートも惜しげなくやります。

しかし、会社がいちばん評価する人材は、どれだけ真面目にやったかでも、どれだけ仲間を助けたかでもありません。

いちばん評価されるのは「会社の利益に繋がる仕事をやった人」です。

つまり、どれだけ金を引っ張ってきたか/金を引っ張ってくるモデルを作ったかに尽きます。

今まで私は「仲間を放っておいて、自分だけ結果を残そうとするのは卑しい」と思って生きてきました。

なので、普段まわりに迷惑をかけまくっている同僚が新規ビジネスで表彰された時は、素直に祝福することができませんでした。

「会社で働く自分」にも、ずっと違和感を感じて生きてきました。

会社の人事評価は、自分の分しか見えません。

一方、ゲームの世界では、メンバーのプレー状況が数字として可視化されます。

その人がどれだけコミュニティ活動に貢献し、どれだけ自分の利益追求をしたかが、数字に見えるのです。

ゲームの世界では、コミュニティ活動に参加するだけではキャラクターを強化できません。

自分の利益追求もしないと、キャラクターは強くならないのです。

私が驚いたのは「活動比率の違いで、3種類の人間がいる」ということでした。

まずは「自分の利益追求>コミュニティ活動」型。

多くの場面で活躍しているメンバーは、このパターンでした。

まず自分が強くなる。コミュニティ活動は、ほどほどに、かつキッチリ結果を出す。

いわゆる「要領の良い人たち」は、正直、あまり他人のために汗水垂らすことをしないのです

次に、「自分の利益追求100%」型。

コミュニティ人員の3割ほどを占めるのですが、彼らはコミュニティ活動に一切貢献せず、ただ自分の強化だけに勤しんでいます。

交流の場にも、いっさい現れません。

他人のことはどうでも良いと思っていて、他のコミュニティ人員が頑張って出した成果を、利用するだけの人たちが3割もいる。

私はハッとしました。

もしかして、会社や世の中も、このような構成になっているのではないか?

そんな私は、3番目の「自分の利益追求<コミュニティ活動」型です。

人のことばっかりなので、自分が全く強くなれません。

でも、そんなタイプは私以外だと、100人以上いるコミュニティの中では一握りでした。

今までは、それが当たり前だと思って生きてきたのに、実は自分がマイノリティだったという衝撃

損ばかりしていて、しかもコミュニティに価値を提供できていないなんて、最悪じゃん。

私はこれを発見したとき、単にゲーム攻略のスキル差の話には留まらない気がしました。

私、もう少し自分本位に生きたほうが良いのかもしれない。

そう思ったのでした。

ゲーム廃人になって分かったこと

  1. ソーシャルゲームはパチンコ・競馬と同じ
  2. ゲームのコミュニティ機能は、ある意味でシェルター
  3. 自分のポジションを俯瞰できる面白さ

4月に育休から明けたら、また馬車馬のように働かなければなりません。

ゲームを卒業するとしたら、その頃かなと思います。

ひょっとしたら、もう辞められないかもしれません…。

ゲーム廃人生活から抜け出すためには、ケジメをつけて「プレータイミングは朝、子どもが起きる前と夜、子どもが寝た後」と決めるしかなさそうです。小学生か!

皆さんも、くれぐれもソーシャルゲームには手を出さないようにご用心ください。

私のようになってしまうかもしれませんよ。

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