エリザベス女王の国葬に、キリスト教3世の私が感じたこと

宗教・哲学

一国の平和を治めた君主の国葬に、外国の一市民の私が何かを発信するなんて、おこがましいにも程があるのは重々承知している。

しかし、昨晩の国葬をリアルタイムで視聴し、イギリスのあの地を訪れたことがある身として、また同じクリスチャンとして、エリザベス女王の栄華を少しでも伝えられたらと思いブログを書いている。

時代性を鑑みても、今後は彼女ほど国民から愛される君主は、おそらく誕生しないだろう。

私たちもまた、皇室という世界では極めて稀なシステムを持った国である。彼女の生涯から、私たちは何を学べるのだろうか。

揺れる王室。25歳の若さで即位したエリザベス女王

バッキンガム宮殿

エリザベス女王が即位する前は、父であるジョージ6世が国王を務めていた。

ジョージ6世は吃音症があり、短気な性格であったことは映画「英国王のスピーチ」でもよく知られている。

ジョージ6世は苦労人である。元々は兄のエドワード8世が国王を務める予定だったが、彼が2度の離婚歴を持つ女性との結婚を望み、1936年に王位をわずか11か月で降りたために、予定外で国王となった。この兄、在位中は敵国のドイツ軍に国家機密文書を漏らすわ、王位を捨てた後も年金給付を求めるやら、禁じられた公務に復帰したがるやらで、再三に渡り王室とモメるのである。

ジョージ6世が国王に即位したことで、王位継承権の一位は長女のエリザベス王女に移った。わずか10歳にして、将来女王になることを受け入れたのだ。エリザベス王女は真面目な性格だった。自由奔放な妹マーガレット王女とは実に対照的である。エリザベス王女は名門イートンカレッジ(日本でいう学習院のようなポジションの学校)の副学長から直々に君主論を学び、カンタベリー大主教から宗教を学んで育った。

後に夫となるフィリップは、海軍学校を主席で卒業するほど優秀な人物である。彼もまた苦労人であった。フィリップの母のアリス王女はヴィクトリア女王のひ孫で、エリザベス王女とは遠縁にあたる。アリス王女は生まれながらに難聴で、統合失調症と診断され、療養を繰り返し(主治医はかの心理学の権威フロイトだった)、夫は家庭を顧みなくなった。幼い頃の家庭環境からか、フィリップは時々、友人も驚くほど失礼な物言いをするところがあったようだ。

14歳のエリザベス王女が海軍学校を訪問した際、段取りを手配したのがフィリップの叔父のマウントバッテン卿だった。その際、18歳だったフィリップも同行しており、このとき2人は初めて出会ったとされている。叔父のマウントバッテン卿はかなりの野心家で、後に海軍のトップにまで上り詰める人物である。晩年、彼を疎んだ政治家たちによって元帥を降ろされると、新聞社のトップと共謀してクーデターを企てたほどだ。女王とフィリップの出会いも、叔父なりの画策があったに違いないだろう。

それを知ってか知らずか、エリザベス王女はフィリップに一目惚れした。2人は文通や王室行事などで交流を深め、1947年、彼女が21歳のときに婚約・結婚した。父の苦労を見て育ったエリザベス王女にとって、苦労人でスマートなフィリップは最愛の夫にふさわしい男性だったのかもしれない。結婚前夜、フィリップはジョージ6世からイギリス王室の一員である「殿下」の称号を与えられた。

エリザベス王女とフィリップ殿下の結婚式は、ロンドンのウェストミンスター寺院で執り行われた。エリザベス女王の国葬が執り行われたのも当寺院である。ウェストミンスター寺院は王室行事が執り行われる教会であり、時計塔のビックベンでも有名な国会議事堂が隣接している。

1952年、体調不良のジョージ6世の代理でエリザベス王女夫妻が外遊中、ジョージ6世が56歳の若さで崩御した。第2次世界大戦の最中、空襲下でもロンドンを離れず国民と苦楽を共にしたジョージ6世の早世は、過労が原因と言われている。

こうしてエリザベス女王は、25歳という若さで女王に即位することになった。

王室と、教会と政府

ウエストミンスター寺院

イギリスにおいて、国王(女王)を王たらしめているのは「教会」である。

イギリスは、キリスト教の中でも独自の流派「イギリス国教会」を確立している国だ。

元を辿るとイギリスも、世界に広く信仰されているカトリックの流派だったのだが、1534年に当時の国王ヘンリ8世が、国王を最高首長としたイギリス国教会を立ち上げたことで、カトリックの総本山であるローマ教会から独立した。ヘンリ8世は無茶苦茶な国王で、イギリス国教会を立ち上げた理由も、子どもに恵まれなかった第一王妃と離婚し、侍女のアン・ブーリンと結婚するためだった。カトリックは離婚を許さない教義だからである。

1953年、エリザベス女王が27歳の時、イギリス国教会によって戴冠式が行われた。25歳で女王に即位後、戴冠式におよそ2年も要した背景には、当時のチャーチル首相の助言があったとされている。25歳の若き女性が、君主として立ち上がるためのトレーニング期間でもあったのだろう。チャーチル首相は第二次世界大戦でイギリスを勝利へ導いた、史上最も優れた政治家であり、女王に助言を尽くした人物のひとりだ。

戴冠式はどのようなセレモニーなのか。まず、国王になる者が自ら教会に宣誓を行う。そして、教会の聖職者によって聖別(聖なる油を胸元と頭に塗る。神と直接対話できる存在になるための儀式)を受ける。重さ2キロもの重量がある王冠を身につけ、国王として君臨するのだ。

17世紀に確立された立憲君主制は「君主は君臨すれども統治せず」の思想である。政府が「実践的要素」、王室が「尊厳的要素」として機能し、イギリスを治める。国王は、形式的には議会の召集、法律案の裁可、条約の締結、戦争の宣言、講和の締結、軍の統率、主要文官・武 官の任命等の権限を有する。これを国王大権という。一見、国王は多くのことができるように見えるが、国王大権は慣習により首相や大臣の助言に基づき行使されるため、実際には政府の方が優位なのである。

エリザベス女王の功績

人が意思を表示することは、極めて自然なことである。

しかし、女王は常に中立を保たなくてはならない。政府に助言を与えることはできても、政治的な意向を示すことは許されない。

その上で、あらゆるシーンで声明を出すことは極めて困難な仕事であり、強靭な精神力と意志が必要だということは、誰でも想像できるのではないだろうか?「中立」とは、人間として不自然な状態であり、女王はスピーチをしながらジェスチャーをすることも、会話の中で自然な笑顔を見せることも許されない。ジェスチャーも笑顔も、意思を表明するものだからだ。

エリザベス女王の在位期間中、世界は決して平穏ではなかった。史上最大のスモッグ公害で、1万人以上が死亡した「ロンドンスモッグ」。1956年に起きた、スエズ運河をめぐるエジプトやロシアとの対立。妹のマーガレット王女のスキャンダルや、ダイアナ妃の交通事故。ヘンリー王子とメーガン妃の王室離脱も、記憶に新しい。

常に世間で王室不要論が叫ばれる中、エリザベス女王は70年という永きに渡り女王を務め、国民に寄り添う声明を発表し続けた。これは紛れもない彼女の偉大な功績だ。

毎年テレビで放送する「クリスマスメッセージ」も、その年の時事を取り上げながら、道徳的で前向きなメッセージを国民に発信している。このクリスマスメッセージを始めたきっかけは、王室を批判する貴族の意見をエリザベス女王が受け入れたことだった。

彼女のメッセージが持つ温かい力は、観れば必ずわかる。

直近のクリスマスメッセージは、昨年亡くなったフィリップ殿下の功績について触れ、王室の功績を伝えつつ、人々の心に寄り添うメッセージを発信した。

フィリップ殿下は、エリザベス女王の戴冠式の実行委員として、歴代で初めて戴冠式のテレビ放映を実現した。それまで閉ざされてきた王室の暮らしを、テレビを通して積極的に発信してきたのも2人の大きな功績だ。

エリザベス女王の国葬で引用された聖句

キリスト教のセレモニーでは、聖書の一節を取り上げるのが慣例となっている。葬儀では、亡くなった人を表すような聖句が取り上げられることが多い。エリザベス女王の葬儀では、以下の一節が取り上げられていた。これは、イエス・キリストと弟子たちの会話である。

「トマス(弟子のひとり)が言った。『主よ、どこへ行かれるのか私たちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。』

イエスは言われた。『私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父(神)のもとに行くことはできない。あなた方が私を知っているなら、私の父をも知ることになる。今から、あなた方は父を知る。いや、既に父を見ている。』

フィリポ(弟子のひとり)が「主よ、私たちに御父をお示しください。そうすれば満足できます』と言うと、イエスは言われた。

『フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、私がわかっていないのか。私を見た者は、父を見たのだ。なぜ『私たちに御父をお示しください』と言うのか。私が父の内におり、父が私の内におられることを、信じないのか。私があなた方に言う言葉は、自分から話しているのではない。私の内におられる父が、その業を行なっておられるのである。」

(新約聖書 ヨハネによる福音書14章より)

司教がこの聖句を引用された理由は、エリザベス女王が生涯を通して、イギリス国教の宗長として立派に務めを果たし、国民に寄り添って生きる姿を示したからではないだろうか。

多様性が重視される時代に、自分という「個」を殺しながら、しなやかに時代との調和を試み、国のために女王としての務めを果たしたエリザベス女王。そんなひとりの女性の生き様に、私は深い敬愛を示したい。

今も昔も、王室は外交における要となる存在である。しかし、情報社会が発達しつつある現代、王室の存在意義は問われ続けている。ヨーロッパ諸国を中心に、王室の縮小化が進んでいる。先日、デンマーク女王は孫たちから「王子」「王女」の称号を剥奪し、彼らが自由に生きることを望んだ。

私たち日本は、どうだろうか。こうした議論には、必ず「伝統」を守るというテーマもついて回るものだ。しかし、人の生き方が多様化する中で、人が自分らしく生きる権利を奪う概念を果たして「伝統」と呼んで良いのだろうか?「負の遺産」の間違いではないのだろうか。

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