クリスマスは、キリスト教のお祭りです。
今回は、キリスト教徒の家庭で生まれ育った私がクリスマスとは何か、そして日本のクリスチャンがどのようにクリスマスを過ごしているかを、ご紹介したいと思います。
なお、私の家庭の宗派はプロテスタントです。更にその先にも色んな宗派があるのですが、宗派によって多少の違いがある可能性についてはご承知おきください。
前談:キリスト教とは?宗教の中での位置付け

クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝うイベントです。
世界中で使われている西暦は、実はイエス・キリストの誕生年を起点としています。
つまり、イエス・キリストは今から2021年前に誕生した人物です。
なお、西暦の表記上、イエス誕生以前の出来事は紀元前○年、BC(Before Christ)○年と表記します。
キリスト教では、イエス・キリストという人物を、神の言葉を聞いて人々に伝える「預言者」及び「神の子」として認識し、信仰の対象としています。
「キリスト教徒」の定義は「神を信じ、キリスト教の教えに倣って生きる人」です。
ここ突然ですが、世界一のベストセラー著書が何か、皆さんはご存知でしょうか?
それは「聖書」です。
聖書は、実はキリスト教だけの教典ではありません。
聖書には、紀元前4〜5世紀に編纂されたと言われる「旧約聖書」と、イエスの誕生後の出来事が記された「新約聖書」の2種類あります。
旧約聖書はユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教からも教典として認識されています。
旧約聖書は、元々はユダヤ人が信仰する「ユダヤ教」の経典として誕生しました。
当時、ユダヤ人は、エジプトなどのアラブ人国家から迫害を受け、荒地で遊牧民族のような暮らしをしていました。
旧約聖書には、世界の起源(アダムとイブの物語など)、ユダヤ人が神に選ばれた民族であること、ユダヤ人がエジプトから迫害を受けた受難の歴史、イスラエルという地が神によって与えられた聖なる土地であること等が記されています。
旧約聖書は、安住の地を持たないユダヤ人たちが魂を癒し、混乱なく秩序を保って生きるために、必要な書物だったのかもれません。
旧約聖書は最後に、迫害を受け続けるユダヤ人を救済する存在・メシアの誕生を予言して終わります。
そのメシアがイエス・キリストであるとし、イエスの教えや奇跡の行いについて、イエスの弟子たちが記した書物が「新約聖書」です。
一方、イスラム教の人々はイエスを容認せず、預言者ムハンマドと弟子たちによって語り記された「コーラン」という、新約聖書とは別の書物を教典としています。
個人的には、新約聖書は「愛と赦し」の教えであるのに対し、コーランは厳しい戒律に基づく修行のような教えだなあという印象を抱いています。
キリスト教は、唯一神の思想なので、異宗教に排他的な性質を持っています。そのため、歴史上でも長らく、他国侵攻の根拠として政治利用されて来ました。
今もなお、アメリカを始めとするキリスト教国家と中東イスラム教国家は、政治的に激しく対立していますが、実はポジションとしては、血を分けた兄弟みたいなものなんですね。
なお、日本には、キリスト教徒は人口のわずか1%しか存在しません。
我が家は、祖父母の代からクリスチャンになりました。(祖父がクリスチャンになったきっかけは、こちらのブログ記事をご参照ください)
キリスト教徒は毎週日曜日に教会へ通い、先生(プロテスタントでは牧師、カトリックでは神父)の話を聞いて聖書を学び、聖歌を歌って神を礼拝します。
聖書からは、現代に通じる学びも沢山得ることができます。その話は、またいずれ。
聖書に記された、イエス誕生の物語

前置きが長くなりましたが、改めて、クリスマスとはイエス・キリストの誕生を祝うイベントです。
新約聖書には、イエス・キリスト教の誕生について以下のように描かれています。
ローマ帝国の建国初期、ユダヤ人国家ヘロデ王の統治下で、マリアというひとりの女性が身籠りました。
マリアは、婚約者ヨセフと結婚する前の身でした。
普通なら、ありえないことです。ヨセフはマリアとの離縁を考えました。
しかし、ある晩、天使がヨセフの前に現れました。
「マリアは精霊によって身籠ったのだから、恐れず迎え入れなさい。
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名づけなさい。彼は予言の子・メシアである」
ヨセフは天使の言う通り、マリアを妻として迎え入れ、生まれた子をイエスと名づけました。
時同じくして、ヘロデ王の元に占星術の博士たちがやってきました。
「東の空に、メシア誕生のしるしの星が現れたので拝みに来た。イエスの居場所を教えてほしい」というのです。
ヘロデ王は、自分の権威を脅かすイエスを見つけ、赤子のうちに殺そうと考えました。ユダヤ教の祭司たちや律法学者を集め、イエスがユダヤのベツレヘムで誕生するという予言を見つけました。
そして、占星術の博士たちに「ベツレヘムへ行って、イエスを見つけたら私にも教えてほしい。自分も拝みに行くから」と言いました。
博士たちがベツレヘムに辿り着くと、星が彼らを先導し、生まれたばかりのイエスと母マリアのもとへ導きました。
博士たちは、イエスに黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げました。
博士たちは夢で「ヘロデの元へ帰るな」とお告げを受けたので、そのまま自分たちの国へ帰って行きました。
(新約聖書 マタイによる福音書より)
イエスは30歳になると、神の声を聞きながら弟子たちと共に布教活動を始め、人々を癒す数々の奇跡を起こしました。
信者は増える一方だったので、異端者として問題視されたイエスは、ローマ帝国5代皇帝ネロによって捕らえられ、十字架に架けられて処刑されてしまいました。
その3日後、イエスは墓の中から蘇って弟子たちの前に姿を現し、昇天したと言われています。
ひとりの乙女が精霊によって身籠ること、イエスの行いの数々、イエスが殺されるまでの一連の出来事は、旧約聖書によって予言されていたことを成就させたため、今でも世界中に多くの信者がいるのです。
クリスマスツリーとは?サンタクロースとは?

ここまで読むと「じゃあ、クリスマスツリーとサンタクロースは何なの?どこにも出てこないじゃないか」と疑問に思う方も多いでしょう。
クリスマスツリーとサンタクロースは、後世で誕生したクリスマスのモチーフです。
まず、クリスマスツリーはドイツで誕生したと言われています。
ドイツ人の源流であるゲルマン民族は、冬至(ユル)を迎えるにあたり、常緑樹である樫の木を祭儀に使っていました。
この「常緑樹」は、永遠の象徴でした。
8世紀になると、キリスト教の宣教師がローマからドイツへ布教しにやって来ました。
ドイツに広く自生する常緑樹のモミは、三角形をしています。
これが、キリスト教の「三位一体」(神・イエス・精霊の三者は同一の存在であるという考え)を象徴するモチーフにもなりえるため、樫からモミが取って替わったのではないか、と言われています。
(出典:イーフローラ)
クリスマスツリーのてっぺんに飾る星は、イエス・キリストの誕生を告げる星です。
モミの木は、永遠の象徴。キリスト教では、神を信じる者は死後、天国に入り、永遠の命を得ると言われています。
果実のように丸いオーナメントは、創世記で最初の人類とされているアダムとイブが口にした、禁断の果実であり、人間の「原罪」の象徴です。
赤と白の杖型のキャンディは、人々の原罪を赦すために十字架で死んだ、イエスの流した血と純潔を表していると言われています。
イルミネーションは、世界を明るく照らし、人々を導くイエスの教えを象徴しています。
ベルは、迷える子羊の居場所をイエスに告げるモチーフです。
全てに、意味があるんですね。
では、サンタクロースはどこから来たのでしょうか?
サンタクロースは3世紀頃、ローマの属州で司教を務めていた聖ニコライという人物がモデルと言われています。
聖ニコライは当時から信奉を集めた司教でした。そんな彼の逸話のひとつに、3人の貧しい少女を身売りから救うため、若かりし彼が財産を投げ打ったという話があります。
少女の家の煙突から金貨を投げ込むと、その金貨が暖炉脇に吊るしてあった靴下に、転がり込んだのだとか。
このような伝説が後世に渡って、詩人たちの手によって脚色されて行き、子どもたちに贈り物を届ける風習に繋がったと言われています。
聖ニコライをオランダ語にすると、サンタクロースになるそうです。
彼は生前、赤い服を好んで着ていたと言われています。
なぜ、クリスマスにプロポーズする人が多いのか?

クリスマスにプロポーズをするという慣例は、キリスト教徒にはありません。
キリスト教徒が多い欧米諸国では、クリスマスは家族と過ごすもの、つまり日本でいう正月のようなものだからです。
欧米諸国では、クリスマスよりもバレンタインにプロポーズする男性の方が多いのです。
しかし日本においては、プロポーズをする人が最も多いのはクリスマスです。何故でしょうか?
それは、1980年代からレストラン・ホテル・ジュエリーといった業界からの商業的な宣伝が後押しして「クリスマスは恋人と過ごすロマンチックな日」という、日本特有の価値観が出来上がったそうです。
街中を流れるワム!の名曲「ラスト・クリスマス」や、マライアキャリー「恋人たちのクリスマス」を聞くと、気持ちも盛り上がりますよね。
「バレンタインは女性から男性へチョコレートを贈る」という慣習も、日本の製菓メーカーが作ったものなので、クリスマスと成り立ちが似ています。
ハロウィンも15年前までは、日本において祭りとしての知名度は殆どありませんでしたが、今ではすっかり市民権を得ていますね。
クリスマスを楽しもう!

いかがでしたでしょうか?
クリスマスが近づくと、多くの教会が近所の方にも広く呼びかけて、お祝いをします。
私個人としては、キリスト教の信者になる・ならないに問わず、世界中で信仰されている宗教に触れることは、歴史や人の叡智に触れることができる機会だと思います。
私たちが日々、何気なく使っている曜日(月〜日曜日)も、私たちの生活を守る憲法も、結婚式の誓いの言葉も、元を辿るとキリスト教の思想から生まれているからです。
こと現代においては、お金・損得・善悪を軸に議論されることが多いので、宗教・哲学は決して時代遅れのものではなく、現代だからこそ次世代の子どもたちにも触れてほしい価値観と考えています。
私はキリスト教家庭で生まれ育ったことで、紀元前に誕生した中国の儒教や仏教にも、自ら触れるきっかけになりました。
多様な思想・価値観を受け入れられる器は、生きる上でも大いに役立ちます。
こどもたちもキリストの誕生劇を見たり、歌を歌ったり、プレゼントをもらったりして、とても楽しく過ごせるのが教会のクリスマスです。
もしお近くに教会があったら、ぜひ一度、伝統的なクリスマスを楽しんでみてはいかがでしょうか?
「教会に足を踏み入れる勇気がない…」という方は無理なさらず。美しいクリスマスツリーを眺めながら「こんな意味があるんだっけ」と、少しだけ思いを馳せてみてくださいね。
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